日本工芸館は我が国の長い歴史に育てられた伝統的工芸品(民芸品)の保存育成と普及を目的とし、昭和25年大阪市北区堂島に残存していた江戸時代の米蔵を改造して開館、昭和35年開館10周年を迎えるにあたり、これを記念して現在の所に新築移転しました。
何時の時代にも庶民生活と深く交わる民芸は、無名の工人の手で作られたものでありますが、非常に美しい品々を生んでおります。
日本工芸館はこれ等現存民芸の技術保存と育成、普及に努め、併せて庶民生活の美化運動にも寄与したいとその運動を進めています。
展示の民芸品は我が国が生み出した伝統的工芸品です。この民芸品は今や世界的に高く評価されています。
当館では日本各地で生産された民芸品を収集した所蔵品を常設展示しています。また、毎年11月を伝統的工芸品月間と定め、日本民芸公募展を開催しています。
日本の歴史的工芸文化の一端として民芸の用と美をご鑑賞下さい。
工芸とは手作りで生活用具等を言います。一般的に「用と美」が工芸とされています。
工芸の分野として陶磁器、漆工、金工、木工、枝条杞柳品、染織、ガラス等があります。1974年伝統的工芸品産業の振興に関する法律が制定され、100年以上の伝統的な歴史を持つ技術技法によって製作された製品を伝統的工芸品と呼ばれた。その伝統を維持する為、国の保護を受け今日まで受け継がれています。数多くの技術や技法は日本の文化として根付いており、多数の文化財として今日まで維持できるのも技術技法が受け継がれてきた賜物であります。
民芸とは民衆的工芸品の略称語であります。
民芸は、庶民の生活用具で、暮らしの要求に応えた産物であります。(実用品)
民芸とは健康体・実用的・素朴・用に忠実・手工芸として安価なもの。
民芸とは先祖から伝えられた技術技法を受継ぎ、時代に適応して生産します。(伝統工芸)
民芸とは無名の工人が用者を主体として用に忠実な品々を作ります。(美を追っかけない仕事)
民芸とは個人の力だけでなく、分業または協同によって生産されます。(他力道)
民芸とは美を追っかけない仕事ですが、美に追っかけられた美しい品々を産出します。(巧まざる美)
三宅忠一は柳宗悦の著書「工芸の道」(1928)に感銘を受け、昭和10年頃から民芸運動に参加した。戦後北海道における民芸の調査を柳から一任されるなど日本民芸協会の中心的メンバーの一人として活躍した。
民芸運動に携わる傍ら、大阪のスエヒロ本店(レストラン)の経営者となり"しゃぶしゃぶ"を考案して、実業家としても非凡な手腕を発揮した。
昭和25年には日本民芸協会大阪支部の運動拠点として日本工芸館を建設し、昭和30年には「日本の工芸」を発刊し民芸運動を推進した。しかし、精力的に活動してきたが昭和34年柳氏との意見の相違から日本民芸協会を脱会し、新たに同好の士を募り日本民芸協団を設立した。
三宅忠一の信念として、民芸と美術工芸は別のものと考え、これを民芸から分離する意味で全国各地を飛び回り、民芸の生産を指導し奨励した。
日本民芸協団設立と同時に、精力的に産地の生産を振興する方策を次々と実行し、民衆の生活に民芸を取り入れ国民生活の美化運動と生産地の発展に終世を奉げた民芸運動の先駆者である。
偉大な指導者の後を引き受け、先代に劣らない民芸運動を志していますが、私のモットーは民芸の火を消してはいけない。我が国で生まれ育った伝統産業を保存し、後継者の育成に力を注ぎたいと思っていますので、沢山の同士が集まって大きな力を発揮して頂きたいと思っています。如何なるものも一歩から始まることを実行して行きたいと思います。
日本民芸協団は、日本の伝統的工芸品(民芸品)の振興と普及を図り、手仕事で作られた美しい民芸品を日常生活に使って日々の暮らしを楽しくしようという集いであります。そのために研修会や懇談会を開いたり生産地の見学などいろいろな催しをしております。民芸品の普及は、国民生活の美化運動にもつながり、伝統的工芸品の保存育成という大切な国家の仕事の一助けにもなるのです。
民芸協団の会員になりますと、研修、懇談、見学会などに参加して頂けますし、偶数月に(日本の民芸)という美しい機関誌を送付します。また民芸博物館である日本工芸館の入館料が無料となるほか、全国の協賛店(会員証に明記)にてお買物の際お得なサービスを受けられます。協団の趣旨に是非御賛同ください。
民芸協団へのお問合せ
06-6226-8081